++スペイン・ウィーン美術旅行記 2001




バルセロナに帰ってきた。2度目だけれどなんかもう庭って感じ。ユキのバルセロナのイメージは日本で言えば大阪。楽しい活気のある街。初めて訪れた時は、もうガウディ!ピカソ!ガウディ!ミロ!ガウディ!って感じだったけれど。今回はガウディは再確認で、前行けなかった美術館をまわること!バルセロナを楽しむこと!が目的。でもしっかりガウディは前よりもゆっくりじっくり見てきた。徒歩でグエル公園に行ける距離にアパートを借りて3人の生活。しかし3年前に行った時より結構物価が高騰してて驚いた。アンダルシアから来たから余計かな。さすが観光地バルセロ〜ナ!

 

・・サグラダファミリア贖罪聖堂/Templo de la Sagrada Familia


バルセロナのシンボル、アントニオ=ガウディの未完の大作・サグラダ・ファミリア贖罪聖堂。ガウディの設計図では、教会はラテン十字型、5身廊と3身廊の交差廊という構成。外側には「キリストの生誕」「キリストの受難」「キリストの栄光」の3つのファザードをつくり、また各ファザードに4本ずつある計12の鐘塔で十二使徒を表し、交差部の上にキリストに捧げる中央塔を設けるらしい。ガウディの生前に完成したのは地下礼拝堂と後陣、「生誕」のファザードのみ。この地下礼拝堂にガウディは眠っている。着工からすでに1世紀がたっており、完成までにまだもう1世紀かかるのでは?!と言われている。完成時期は「神のみが知る」らしい。
ここはバルセロナ1の観光名所だから人が多かった。今回行った時はルータ・デル・モデルニスメといったバルセロナのモデルニスモ建築を10ケ所入場できるお得なチケットを購入しました。
螺旋の回廊を上っての眺めもすてきだけど、設計室を見てるのも私はけっこう好きです。



「生誕」のファザード
奏楽天使の像は、外尾悦郎氏によるもの。

「受難」のファザード


「受難」のファザード

世界で唯一入場料のいる工事現場。

・・カサ・ミラ/Casa Mila(La pedrera)

別名「ラ・ペドレラ(石切り場という意味)」バルセロナのメインストリート・グラシア通りに面して建つ。繊維会社を経営し、国会議院でもあったミラ氏の夫人ロサリオ・セモヒンの依頼で建築され、ガウディは屋上に「ロサリオの聖母」というマリア像を作る予定だったが、当時の政情が悪く施主は反教会暴動による焼き討ちを恐れ、設置を反対。マリア像のないカサ・ミラなんて不完全だ、とガウディは途中で仕事を放棄したらしい。
この建物はリズミカルに波打つ切り石壁、からみ合う鍛鉄の手すり、洞くつの形をした出入り口などが特徴。
屋上には兜と面頬をつけた戦士を思わせるデザインの吹出し口をもつ煙突群がある。
TORRESのブランデーボトルにこの煙突型のがあります。ボトルはかわいいけど、中身は???
今は2つの中庭と地下ガレージを備えたハイグレー ドなマンションとなっているらしいです。世界遺産のマンションて・・・

・・グエル邸/Palau Guell

グエルの依頼により建てられたガウディの出世作。数多くの円柱があるのは、ガウディがアルハンブラ宮殿をイメージして設計したから。建物全体を円柱によって支えるという構造になっている。地下1階が馬小屋、1階が馬車庫、中2階が書斎、2階が応接間、3階が寝室、4階は使用人の部屋厨房というつくり。破砕タイルや砕石が使われた屋上の18本の煙突群や2階の中央サロンなどにガウディの想像力の豊かさを伺える。新しい「モデルニスモ」建築の極めて独創性な作品。
中に入るといろいろガイドが解説してくれるけど、そんなに英語ができない私には?で眠くなった。ここの屋上は煙突もステキだし楽しいです。お天気よかったら最高だったのに、画像の空の黒いこと・・・。 グエル邸はバルセロナの世界遺産。

・・グエル公園/Parc Guell 

ガウディの生涯のパトロンとなるエウセグ・グエルはイギリス風の田園都市住宅地をバルセロナに造ろうと考え、15haの土地設計をガウディに依頼。しかし途中でガウディが亡くなってしまったため、跡地をバルセロナ市が公園とした。
元々、私有の庭園としての計画だったので、グエル公園内の住人のプライバシーを考えて設計されており、塀にかこまれ出入口 はわすかな場所、門番小屋や管理事務所も建てられた。この入口の建物はファンタスティックな外観からお菓子の家と呼ばれているそう。中央公園は色とりどりの破砕タイルを使ったベンチで囲まれ、バルセロナ市街や地中海などが望める。また色彩の天才ジョセップ・ジュジョールの仕事がうかがえる市場の天井やトカゲの噴水などは必見。ガウディが住んでいた家は博物館として利用されており、ガウディのデザインした家具や使用したベットなども保存されている。
ガウディは自然を保護するために山を削ったり、山林を伐採して整地する通常のやり方を用いるべきではないと考えていたため、ここの公園の道は等高線に沿って建設されかなり曲がりくねったりしている。ガウディ作品のいちばんの特徴といっていい自然から学んだ装飾と構造はサグラダ・ファミリアにおいて極められているが、ここでもみられる。グエル公園もバルセロナの世界遺産。

徒歩でグエル公園に行ける距離にアパートを借りた。公園でゆっくりスケッチしながら、お昼にはハモンセラーノのボカディージョを食す至福の時。 でもスケッチしてたら遠足のちびっこたちがいっぱいのぞきに来た・・。


タイルのベンチからの眺め。
奥に見えるのは地中海!

トカゲの噴水

市場の天井

ガウディ博物館

ダリがまるで砂糖をまぶした
タルト菓子のようだ と言ったとか。

とある住宅の門。

・・カサ・バトリョ/Casa Batllo  カサ・アマトリェール/Casa Amatlier

カサ・バトリョ(右)色ガラスの破片と円形タイルで被覆されており、太陽の光を受けると色とりどりに輝き、波打つようなファザード。龍のうろこを想像させる屋根には十字架の白い剣が突き刺さっているらしい。「聖ゲオルギュウスと悪龍」をモチーフに設計したとか。1969年にスペインの歴史文化遺産に指定されたガウディの傑作のひとつ。繊維業者のバトリョ家の邸宅。
カサ・アマトリエール(左)はホセ・プッチ・イ・カダファルク作。フランドル風の階段状の破風をもち、タイルで覆われたネオゴシック様式。彩色タイルを使ったファサードがきれいです。私はこっちの方が好き。 ルータ・デル・モデルニスメを持っているとガイドをしてくれるんだけど、言葉がわかんなくてなんとな〜くしかわかりませんでした。

・・カサ・ビセンス/Casa Vicens

ガウディの処女作。依頼者がタイル業者ビセンスだったことから、タイルがふんだんに使われている。ムデハル様式による装飾が鮮やかで緑と白のタイルで市松模様を組んだ外壁が印象的な建物。黄色の花模様の外壁もかわいい。中に入れたらよかったのに。

・・グエル別邸/Finaca Guell 


グエルからの初めての注文は、バルセロナ郊外のグエル別邸の増改築だった。ガウディが手掛けたのは、門番小屋、うまや、門。その中でも、ギリシャ神話を題材とした正門は「龍の門」と呼ばれている。鉄製のドラゴンが広大邸宅を守る番人役とし築かれている。

・・ミラーリェス邸の門/Porta de la Finca Miralles

ガウディが担当した門と塀が不完全ながらも残る。門がレンガの上を砕石で覆い、ひさしが張り出した瓦ぶきの屋根がキノコ型をしている。

 

 


・・コロニア・グエル教会/Iglesia de la Coronia Guell

ガウディは「大地から自然に生まれる建築」を目指したので、この建物も傾斜地という立地を生かした設計がなされた。 模型を使っての「逆さ吊り」の実験に10年間費やしたとか。完成したのは地下聖堂のみで、本体の教会堂はほとんど手つかずの未完成作品。
この建物をガウディの最高傑作と評する人が多いそうです。地下聖堂にはステキなステンドグラスと椅子があります。

ここにはカタルーニャ鉄道でいきます。コロニア・グエル駅は無人駅でした。行った時には、アンティークカーの集会イベントとサイクリングのレースがあって交通規制がされてました。





アントニオ・ガウディ・イ・コルネット/Antonio Gaudi Cornet


1852年6月25日、タラゴナ県レウスの銅板器具職人の息子として生まれた。21歳でバルセロナの建築学校に入学し、裕福でなかったガウディは在学中も工匠ホセ・フォンセレやサグラダ・ファミリアの初代建築家ビリャールなどの助手としてアルバイトをして働き、学校だけでなく実践的にも学ぶ。卒業して建築家となったが建築を依頼してくれる金持ちとの繋がりもなく、在学中に兄と母を亡くし、老いた父や病弱の姉をかかえ、自身も病弱だったため、不安だらけの生活だった。それでも金持ちとの繋がりを求め、高価なスーツを着、高級なレストランで食事をし、オペラを見に行くなどなんとか上流階級に溶け込み顧客を得ようと努力をした。そんな境遇の中、1878年のパリ万博の際に出品した手袋のショーケースの作品が実業家のエウセビオ・グエルの目にとまり、ガウディは生涯のパトロンを手に入れる。グエル別邸、グエル邸、グエル公園、コロニア・グエル教会とグエルの依頼による作品で名声を得、グエルが亡くなるまで40年におよぶ友情が続いた。

一流の建築家としてガウディの名が知れわたり、31歳の時にサグラダ・ファミリアの建設後任の仕事が舞い込む。ガウディのモットーは施主が心地よく暮らせるように設計することだった。しかしカトリック教徒ではあったが貧しさゆえの苦難や愛する母や兄を次々と亡くした不幸からガウディは神に不信を抱いていた。そんなガウディには、教会という所で何をなされるべきなのかの本質がわからなかったため設計などできるはずがない!ということに気付く。知人の神父に「キリスト教暦」を読むことを薦められ、そこからキリスト教関連の書物を読み進むうちに、ガウディの人生観は大きく揺らいでいった。
教会の建設が天命だと悟ったガウディは苦労して手に入れた華やかな生活を捨て、身も慎み苦行僧のような生活を始め、生涯独身を通した。晩年はサグラダ・ファミリアにのみ全身全霊をそそぎ、自然=神という考えが培われ、この仕事を通して自身の建築観も変わっていった。
しかし1926年、路面電車にはねられるという不慮の事故により74歳でこの世を去った。
「人は境遇に従って生きなければならない。都合のよい境遇であれば、それに逆らわず、不都合な境遇であれば、それと戦いながら生きるのだ。境遇は、天が人に命ずる天命だ。」という言葉をガウディは晩年残している。

 

Barcelona1