++スペイン・ウィーン美術旅行記 2001

この旅での野望のひとつ“右手に大西洋、左手に地中海、正面にはアフリカ大陸!”を達成するため、イベリア半島最南端を目指しバスでアルヘシラスへ。さすが南へ来たという感じで今までのスペインとは何かが違う。港町でアラブ、アフリカ色が濃い。少しデンジャーな雰囲気が漂う。旅の疲れ、天気も最悪だったので宿探しもテキトーに決めてしまったら、これがまたちょっとヤバイ?というような宿。今回の旅の宿最安値1300ptsなだけある。泊まってる客で女は我々だけだったし・・。1泊だけ我慢して違う宿へ。トイレまでの道のりが暗くて遠く、しかも雷まで鳴っててその晩は彼女たちをビビらした。

バルセロナへ向うためセビーリャへ。フィエスタのせいか寝台列車の予約がいっぱいで取れず、1日延泊したせいか余裕をもって滞在。セビーリャはかなりステキな街だった。ちょうどフィエスタの終わりくらいで民俗衣装をきた人々が街の中を闊歩していた。そしてここで今回の旅のインパクト大賞の神戸のおっちゃん夫婦と出会う。同じ宿で、会った瞬間からその宿のパティオはスペインではなく関西に。おばちゃんは、少し風邪気味だということらしいが、口はかなり元気で弾丸トーク炸裂。過去の旅話を聞かせてくれた。

しかし セビ−リャは宿運がなかった。フィエスタでいっぱいっていうのあったかもしれないけど。1軒目はうさんくさいおっちゃんがオーナーやったし、2軒目はその名前はウソやわ〜っていうくらい快適な眠りはなく、おばちゃんのがうつったのかもしれんけどその日から体調崩すし。おもしろい街だったので次回来る時はもう少し良い宿でじっくり滞在したい。

・・地中海/Mer Mediterranee

地中海周辺の文化に触れたいと言ったが、その中でもいつか行きたいと思っている国モロッコ。この旅計画が始まった当初のユキの野望、“スペインから船でモロッコへ渡る。”は却下になったが、アフリカ大陸は見たい!とアルヘシラスからバス約20分でイベリア半島最南端の町タリファへ。念願の右手に地中海、左手に大西洋、目の前にはアフリカ大陸を実現した。

*地中海の向こうにうっすら見えるのはアフリカ大陸(モロッコ)

・・カテドラル/Catedral・ヒラルダの塔/La Giralda

*カテドラル/Catedral

イスラムのモスクを取り壊した後に100年くらいかけて建てられたゴシック様式主体の大聖堂。ローマのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂に次ぐヨーロッパ第3の大きさらしい。でも高さはあまりなく横に広い外観はモスクの影響だそうだ。内部の大伽藍の中央には巨大な中央礼拝堂があり、主祭壇は世界最大らしい。ここにはコロンブスの墓/Sepulcro de Cristobal Colonがあり、柩を担いでいるのはかつてのスペイン4王国カスティーリャ、レオン、アラゴン、ナバーラを象徴する巨人像。柩にはコロンブスの遺灰が納められている。ムリリョ、ゴヤ、スルバランの絵画も展示されている。ステンドグラスや教会の荘厳さはウィーンのヴォーティフ教会の方がよかった。

*ヒラルダの塔/La Giralda

街のどこから見ても見えるセビーリャのシンボルヒラルダの塔。カテドラルに付設された高さ98mの鐘楼。12世紀末のイスラム建築で元はモスクのミナレット(尖塔)だった。展望台の高さ70mまでがイスラム様式で、そこから上の鐘楼部分はキリスト教徒が付け加えたもの。「信仰の勝利」を象徴する青銅の女の像があり、この像が風によって向きを変えることから、ヒラルダ(風見鶏)との名がついた。正方形の塔の内部には大人が楽にすれ違えるほどの幅のスロープがあるが( サグラダファミリアとは大違い!階段じゃないし。)これは王が馬に乗ったまま入れるようにと設計されたためとか。1614年にセビーリャを訪れた支倉常長もここからの眺めを堪能したらしい。

・・アルカサル/Real Alcazar

もとは12世紀にイスラム教徒によって建てられた城塞だったが、当時の部分は残っておらず、14世紀の残酷王ペドロ1世が建設したペドロ残酷王の宮殿/Palacio de Pedro el Cruelがほとんど。ムデハル様式の代表的な建築。
アルハンブラ宮殿の小さい版って感じ。それもそのはずグラナダ王国の職人に作らせたらしい。でも大使の間/Salon de Embajadoresの彩色タイルは見事だった。有料ゾーン(400pts)は、神戸のおっちゃんのおすすめゾーン。

庭園はアルハンブラのヘネラリフェの方が美しいけど、すごく南国情緒があってきれいだった。なんかでっかい赤紫色の花の柱とかあって大胆な感じがした。

・・マリア・ルイサ公園/Parque de Maria Luisa

ユーカリ・シュロ・プラタナスなどすごく木の多い広い公園。散歩するにはもってこい。その中にある2本の塔をもつ大きな半円形の建物のあるスペイン広場/Plaza de Espana。建物に沿って並ぶ58基のベンチに彩色タイルで描かれているスペイン各地の地図や歴史は見ないともったいない。痛んでるのもあったけど、華やかでおもしろい。

・・サンタ・クルス街/Barrio de Santa Cruz

カテドラルの東側に広がる、旧市街。華奢な小路が迷路のように入り組み、まさにラビリンス。広場に出るとレストランやカフェが椅子やテーブルを占拠してオープンカフェとなって非常に賑やか。サンタ・クルス広場(多分)のコルドベスっていうレストランには2回行った。ウエイターのおっちゃんたちの働きぶりが非常におもしろかった。定食/Menu del dia(1000pts)が2皿だったのでお腹にちょうどいい感じ。しかもおいしかった。この街はすごくセビーリャ色が強くて楽しい魅力的な所だった。狭い路地は、強烈な日ざしが家の中に入り込まないようにするためらしい。なんせアンダルシアのフライパンやもんね。

・・救済病院/Hospital de la Caridad

放蕩児ドン・ファンのモデルとされるセビーリャの貴族のミゲル・デ・マニャラが悔い改めて建てた病院らしい。死と慈悲をテーマに描かれたムリリョやバルデスの絵画がある。バルデスの「世の栄光の終わり/Finis Gloria Mundi」は必見。でもここはなんか居心地が悪くてすぐ出てきてしまった。施設の人にじ〜っと見られてたし、そんな広い所でもなかったし。

・・闘牛/Corrida de Toros

これは血が騒いだ!絶対に見るべき。マエストランサ闘牛場にて見た。闘牛はマドリッド、セビーリャが格式が高いらしい。もともとは騎馬闘牛が主流だったので、歴史の古いここセビーリャではそのなごりがあるのか、騎馬闘牛がメインだった。ピカド−ル(騎馬闘牛士)はかなりかっこいい!牛のクルス(肩甲骨の隆起部)に剣を突き刺して行く技術もさながら馬術が見事!お馬さんもがんばってた。普通馬の体につけるらしいマットも装備してなかったし。古風なスタイルだったのかな?
もし自分に息子が生まれたら絶対に見せてやりたい。

・・フィエスタの花火

部屋でくつろいでいるといきなりドアがノックされ「ハポンセニョリータ」という声。ええ?!一体誰が何の用?!と不審に思いながらも思いきってドアをあけてみたら、神戸のおっちゃんだった。「おっちゃん、日本語で言って下さいよ〜!」という我々のリアクションを完全に無視していきなり本題を話しはじめる。おっちゃんがどこぞのバルで手に入れた情報。今晩12時にフィエスタ最後の花火が上がるそうで行かないかとのことだった。

そして我々はこのおっちゃんの独走を目の当たりにする。
おっちゃんは、我々がいっしょにいることをわかっているのか?!というくらい早歩きで会場へ向う。道中にいきなり塩辛いチョコレートをくれる。オレンジをいよかんと呼ぶ。我々にどこに住んでるのか聞いておきながらこっちが聞いても返事してくれない。雨あがりだったので地面が濡れていて座れないな〜と思っていると、約15Bくらいに切ったトイレットペーパーを下に敷けとくれる。(すぐ溶けるっちゅ〜ねん!しかも宿からパクってきてる。)
極めつけ、名前を教えてくれたが実はそれは偽名だった。(翌日奥さんと連絡先を交換した際に発覚。)
何度となく我々は「え゛、え゛ええ〜〜??!」と3人内場くんのように目を見合わせ、新喜劇並にコケた。しかしおっちゃんは我々のリアクションにはいっさい無反応に我が道を行く。
少し芸大の先生っぽい雰囲気をかもし出している個性的で懐かしい感じのおっちゃんだったので、何か芸術系のお仕事してはるんですか〜?と聞きたかったが答えてくれないだろうと思い、おばちゃんに聞いてみたけど違うかった・・。

花火は日本の花火と変わらず。PL花火に見なれてるので規模もふつう。でも異国の地で見る花火に感動!!この旅を祝福してくれてるかのようで、来てよかったと思った。きれい〜、降ってきそう〜!と思っていたら、ほんまに降ってきてた。さすがスペインの祭。熱かった・・・。

闘牛/Corrida de Toros

スペインの国民的祝祭の闘牛の起源は古代スペインに遡る。アルタミラの洞窟壁画にも牛が描かれるようにスペインでは古くから牛の信仰が行われていたようで、牛を対象とした儀式や遊びの記録が多くあるそうだ。
現在の闘牛という形式が定着したのは18世紀で、それまでは騎馬闘牛が主流だった。闘牛はスペイン語で「コリーダ・デ・トロス」「フィエスタ・デ・トロス」と呼ばれる。コリーダは「走らせること」フィエスタは「祝祭」トロは「雄牛」の意味。

闘牛とは規則と作法に従って牛をあしらい、最後にマタドール(剣士)が剣で殺すこと。闘牛は、スポーツではないので、牛と人が勝負を競うわけではないし、闘牛士の間で客観的な評価基準にしたがって競うわけでもない。興行なので新聞などでは映画や演劇と同じ欄に情報が載るらしい。演技で感動をかもす芸術でもあり、豊穣の象徴としての牛の崇拝に起源する祭礼とも考えられ、恐ろしい自然にうちかつ人間の強さを象徴する儀式でもあるそうだ。

赤い布(ムレタ)は剣士が仕留めにつなぐ一連の技で牛の視線をあざむくのに使う。赤い布を使うのは、牛は赤に興奮しやすいと信じられていた時のなごりで、実際は牛は色彩を識別できないそうだ。色とりどりの柄のついた銛を牛の首筋に打つのは、槍をうけて弱った牛を活気つけるため。装飾の意味もある。牛はアフリカ原産ボス・タウルス・アフリカヌスのイベリア変種のみ。体重は450〜650kg。ふつう一興行で6頭の牛を殺す。闘牛士はスペインに約350人くらいおり、スター剣士は30人ほど。スター剣士のギャラは出場1回で500万〜1000万円くらいらしい。仕留められた牛は、闘牛場付属の解体場で解体され肉は食用に。店頭に「闘牛肉」の表示がされる。濃い赤身で味が深いらしい。時間にルーズなスペインで唯一時間きっちりに始まるのが闘牛だそうだ。

 

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